2005年 08月 19日
弁当道、奥深し |
近所のクミちゃん(仮名)が遊びに来た。
彼女のリクエストにより、お昼は私の作ったお弁当。
オットの分と合わせて3つ、前日から気合が入った。
昔は母の作るお弁当に好き勝手な注文をつけていたものだが、
実際自分がやるようになるとなかなかむつかしく、
奥の深い作業だなぁとおもう。
色が地味すぎたり、味が薄すぎたり、のどが渇いたり。
水気が多すぎたり、ご飯が硬すぎたり、隙間だらけだったり。
おかずを少し多めに作って、できるだけオットと同じ条件で試食し、
あーでもないこーでもないと模索を続けるものの、
自分で作ったものを食べているかぎり
どうも「エサ」にしか思えず、なんとも虚しい。
結局のところ、味そのものは二の次なのだ。
弁当の最終的価値を決めるのは、
「誰かが作ってくれた」という実感であり、
「今日のおかずは何だろう♪」と蓋を開ける瞬間のわくわく感であり、
それを食べる「場」なのだと思う。
Y=X3
くらい?思いつきだけど。
なんてことをぶつぶつ言ってる私の横で、
クミちゃんはとても喜んでくれた。
そしてお返しに、私の凝り固まった手足を
1時間もマッサージしてくれたのだった。
これをエビタイと呼ばずして、なんと言おう。
彼女のリクエストにより、お昼は私の作ったお弁当。
オットの分と合わせて3つ、前日から気合が入った。
昔は母の作るお弁当に好き勝手な注文をつけていたものだが、
実際自分がやるようになるとなかなかむつかしく、
奥の深い作業だなぁとおもう。
色が地味すぎたり、味が薄すぎたり、のどが渇いたり。
水気が多すぎたり、ご飯が硬すぎたり、隙間だらけだったり。
おかずを少し多めに作って、できるだけオットと同じ条件で試食し、
あーでもないこーでもないと模索を続けるものの、
自分で作ったものを食べているかぎり
どうも「エサ」にしか思えず、なんとも虚しい。
結局のところ、味そのものは二の次なのだ。
弁当の最終的価値を決めるのは、
「誰かが作ってくれた」という実感であり、
「今日のおかずは何だろう♪」と蓋を開ける瞬間のわくわく感であり、
それを食べる「場」なのだと思う。
Y=X3
くらい?思いつきだけど。
なんてことをぶつぶつ言ってる私の横で、
クミちゃんはとても喜んでくれた。
そしてお返しに、私の凝り固まった手足を
1時間もマッサージしてくれたのだった。
これをエビタイと呼ばずして、なんと言おう。
by goalaska
| 2005-08-19 11:24
| 日々のラクガキ