2005年 09月 07日
村上春樹「海辺のカフカ」 |
なんと、20~25年ぶりに手にした村上春樹の作品。
相変わらずの村上ワールド。小道具が変わってない。
・・・と書いたらファンを怒らせ著者を哀しませるだろうか?
まぁ、ここはただの個人的読書感想の場、ということで許してもらおう。
ちょうど真保裕一「密告」「震源」と、
アクション映画チックな作品の後だったのも一因だろう。
メタファーだらけの村上ワールドに慣れるまでと、
「ナカタさん」が記憶を燃やした後の残り1/5、
失速してしまって最後まで読めないかと思った。
何かを求める主人公。言葉を話す動物。
主人公に癒しや転機を(セックスを通しつつ)与える女。
メンタル面で問題を抱えつつも、真理をつくキーパーソン。
これって「ノルウェイの森」と似てない?
もちろんテーマやディテールは違う。
しかし氏の独特の文体のせいか、
なんだか同じ本を2度読んでる気分になる。
ついでにすっごく勝手な意見(しかも詳細無視)を書くと、
「カラスと呼ばれる少年」や「教授に宛てた担任の手紙」はいらない。
「ナカタさん」をもっと描いてほしかったな、とおもう。
どうせ現実と非現実(精神世界というべきか)を
行ったり来たりするのであれば、
後者を「ナカタさん」が一手に引き受けてほしかった。
愛すべきキャラクターなのだ。こういう人、実際にいないかなぁ。
とはいえ、村上春樹の影響力はすごい、とも思う。
かつてもそうだったのだが、この人の作品を読んだ後は必ず、
自分の書く文章が「村上調」になる。
比喩や暗喩を駆使して、私自身を表現してみたくなる。
すぐ挫折するんだけど。
こんなことさせる作家、他にいないんじゃなかろうか。
私を悩ますAという問題もBという問題も、
全く無関係ではなくすべて「自分」で繋がっている。
言い換えれば、どんなことも何かの一部であり、明確な境界線などない。
結局、どこで線を引くか、または丸ごと受け入れるどうかを
決めるのは自分の内側のモンダイ。
・・・と、村上ワールドに肩まで浸りつつ感じてたっけな~。
若いころの私を、ついぼんやり思い出したのだった。
相変わらずの村上ワールド。小道具が変わってない。
・・・と書いたらファンを怒らせ著者を哀しませるだろうか?
まぁ、ここはただの個人的読書感想の場、ということで許してもらおう。
ちょうど真保裕一「密告」「震源」と、
アクション映画チックな作品の後だったのも一因だろう。
メタファーだらけの村上ワールドに慣れるまでと、
「ナカタさん」が記憶を燃やした後の残り1/5、
失速してしまって最後まで読めないかと思った。
何かを求める主人公。言葉を話す動物。
主人公に癒しや転機を(セックスを通しつつ)与える女。
メンタル面で問題を抱えつつも、真理をつくキーパーソン。
これって「ノルウェイの森」と似てない?
もちろんテーマやディテールは違う。
しかし氏の独特の文体のせいか、
なんだか同じ本を2度読んでる気分になる。
ついでにすっごく勝手な意見(しかも詳細無視)を書くと、
「カラスと呼ばれる少年」や「教授に宛てた担任の手紙」はいらない。
「ナカタさん」をもっと描いてほしかったな、とおもう。
どうせ現実と非現実(精神世界というべきか)を
行ったり来たりするのであれば、
後者を「ナカタさん」が一手に引き受けてほしかった。
愛すべきキャラクターなのだ。こういう人、実際にいないかなぁ。
とはいえ、村上春樹の影響力はすごい、とも思う。
かつてもそうだったのだが、この人の作品を読んだ後は必ず、
自分の書く文章が「村上調」になる。
比喩や暗喩を駆使して、私自身を表現してみたくなる。
すぐ挫折するんだけど。
こんなことさせる作家、他にいないんじゃなかろうか。
私を悩ますAという問題もBという問題も、
全く無関係ではなくすべて「自分」で繋がっている。
言い換えれば、どんなことも何かの一部であり、明確な境界線などない。
結局、どこで線を引くか、または丸ごと受け入れるどうかを
決めるのは自分の内側のモンダイ。
・・・と、村上ワールドに肩まで浸りつつ感じてたっけな~。
若いころの私を、ついぼんやり思い出したのだった。
by goalaska
| 2005-09-07 17:23
| 本、あれこれ